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横浜家庭裁判所小田原支部 昭和61年(少ハ)3号 決定

少年 Y・Y(昭41.6.7生)

主文

本人を昭和62年5月25日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

本人は、昭和60年12月26日横浜家庭裁判所小田原支部で特別少年院送致の決定を受けて、同月27日久里浜少年院に収容され、昭和61年1月21日少年院法11条1項但書による収容継続決定がなされたものであるが、同年12月25日をもつて同決定による収容期間が満了となる。

本人の少年院内における規律違反は、昭和61年4月11日不正品(彫刻刀)使用と虚偽申立てにより謹慎5日、同年10月27日には、陰口、中傷、口論、けんかにより謹慎7日の懲戒処分を受けただけであるが、自己顕示欲が強く、安易なものの考え方をし、上つ調子で短絡的に行動しやすい少年の性格、行動傾向を改善し、独立、自活の信念を強固にして耐性をつけ、誘惑に打勝つ行動力を体得させるためには、なお、若干の教育期間が必要とされる。また、少年院は入院3度目で享楽的志向が強く、前少年院仮退院当日家出して暴力団事務所に戻つてしまつたこと及び今回は実兄Y・Mが身許引受人となるものの同人はいまだ若く、監護能力は未知数であることなどを勘案すれば、出院後も若干の期間専門家による助言指導が必要と考える。

本人の収容期間は昭和61年12月25日までであるが、当院での教育期間を昭和61年11月7日の本申請日からあと約3か月半、仮退院後の保護観察期間を約3か月見込むと満期後なお5か月の期間が必要である。

よつて、本人については、昭和62年5月25日までの収容継続の決定を求める。

(当裁判所の判断)

1  本人は、昭和57年12月23日横浜家庭裁判所小田原支部において窃盗、毒物及び劇物取締法違反、道路交通法違反保護事件により中等少年院送致の決定を受け、喜連川少年院に収容され、昭和58年11月17日仮退院したが、昭和59年7月21日試験観察決定に基づき委託された○○寮を逃走し、以後帰宅せず友人宅や暴力団○○組の事務所を転々とし、逃走前に犯した事件も含めた業務上過失傷害、道路交通法違反、道路運送車両法違反、恐喝、窃盗保護事件により昭和59年10月18日同裁判所小田原支部において再び中等少年院送致の決定を受け、八街少年院に収容され、昭和60年7月11日仮退院したが、その日のうちに暴力団○○会○○組事務所に行き世話になり、その後犯した覚せい剤取締法違反、恐喝の非行により昭和60年12月26日同裁判所小田原支部において特別少年院送致の決定を受け、翌27日久里浜少年院に収容されたものである。

2  久里浜少年院における本人の生活態度は、3回目の少年院であり、団体生活の規律は身についていることから、院生活への適応には問題はなかつたものの、次第に緊張感も薄れ、昭和61年4月11日には不正品(彫刻刀)使用、虚偽申立てにより謹慎5日の処分を受け、1級上に進級後の同年10月27日には、陰口、中傷、口論、けんかにより謹慎7日の処分を受けた。その後本人の反省を促す調整処遇に移され、これが同年12月16日まで続いたため、本来予定されていた出院準備にとりかかれず、これから出院準備にかかることとなるため、仮退院も2月に予定されることとなつた。しかも、本人にはまだ前記「申請の要旨」記載の性格上の問題が残つていることが認められ、そのための教育期間も必要と認められる。

また、仮退院後は、実兄Y・Mが身許引受人となり、同人宅に一時同居することが予定されているが、本人と右実兄との生活期間は短く、右実兄はいまだ若く、監護能力は未知数であるうえ、本人は前記のとおり八街少年院仮退院当日暴力団事務所に身を寄せてしまつたものであることを考慮すると、出院後も相当な期間専門家による助言指導が必要と認められる。

3  以上の事情を考慮すると、本人の犯罪的傾向は未だ矯正されたものということはできず、また、退院後も相当期間保護観察を必要とする特別な事情の存在が認められる。そして、昭和62年2月中には少年院内での処遇過程を修了するものと思われ、その後の保護観察期間として約3カ月が必要と考えられ、したがつて本件申請どおり、収容継続の期間は昭和62年5月25日までとすることが相当である。

よつて、少年院法11条4項、少年審判規則55条により、主文のとおり決定する。

(裁判官 天野登喜治)

〔参考〕 収容継続申請書

収容継続決定申請書

横浜 家庭裁判所 小田原 支部 御中

久里少発第1213号

昭和61年11月7日

久里浜少年院長○ ○

少年 Y・Y 昭和41年6月7日生

本籍 北海道斜里郡○○町字○○××番地

上記少年は、昭和60年12月26日貴家庭裁判所において少年院送致の決定を受けたもので、昭和61年12月25日期間終了となりますが、別紙理由によりなお矯正教育の必要があるものと認められますので、少年院法第11条第2項以下による収容継続の決定をなされたく申請します。

保護番号 昭和60年少第2515号

裁判官 ○ ○

理  由 〈省略〉

別紙  Y・Y

在院成績

1 規範の意識化

規律違反として表面化したのは、本年4月の不正品(彫刻刀)使用と虚偽申立てで謹慎5日及び最近の陰口、中傷、口論、けんか等での謹慎7日の懲戒処分が2回だけであるが、自己顕示性が強く、怒りや不満をもちやすくて、即行的にふるまう少年の性格、行動から見て今後も規律違反の懸念が残されている。従って規範意識の定着化、後先を考える慎重な行動様式の体得、他に影響されない強い意志と忍耐力の養成などを図るためには、なお若干の教育期間が必要と考える。少年は1級上生なので、おって半開放の出院準備教育寮に転寮させて指導するが、そこでは海洋訓練、院外奉仕作業、日直その他の役割活動を課して少年のもつ問題点の改善を図りつつ、自立心や責任感を強固にさせていきたい。

2 自己改善への取組み

自己改善目標は(1)見栄や虚勢を張らずに素直な気持で生活する。(2)周囲に影響されずに自分の意思で行動する。(3)生活設計をたて、地道に働く態度を養う。の3項目を定めて教育してきたが、どの項目についても或る程度の進歩は認められるものの未だ不十分と観察される。即ち、(1)については、最近の規律違反にもみられるように自分が所属する生活班の新入生の態度が大きいなどの理由で口論、けんかとなっている。(2)については、自分が中心となって特定のグループを作ろうとしたり、他生が自分のことを職員に告口をしているなどと人の噂を信じ込み、対人トラブルを起している。また、(3)については、面接や作文等で組から離脱し、まじめに働くとは述べているが、日常の行動では組関係のある少数の少年たちと好んで接触していることが観察されている。

3 健全な生活習慣及び学習習慣の習得

(1)服装、言葉使い、あいさつ、礼儀等の基本的な生活態度や行動様式は一応身につけている。しかし、感情の起伏が激しいためか、その日によってムラガあり、対少年間で虚勢を張った言動がみられることがある。

(2)職業指導(木材加工)体レク、集会、各種の行事その他教育活動への参加姿勢は、全般的に見て良い方で指示に従いまじめに取組んでいる。しかし、自分が好まぬ日課、例えば集会、講話等は仕方なし参加しているといった態度がみられる。

4 対人関係

(1)職員に対しては、表面的には素直な態度で接しているが、表裏性が強く、厳しい指導に対しては、あらわに不快感を顔に出す。また、要領がよく、自分を必要以上に良く見せようとし、時にはなれなれしい言動をして、改めるよう指導されたりしている。

(2)他の少年に対しては、好き嫌いが激しく、自分と気が合う少年とは問題視されるほど親密につき合う反面、煙たい少年に対しては、自分から徹底して遠ざかるばかりか、敵視する傾向が見られる。

(3)保護者に対しては、父親に対しては、全く親和感を抱かず、どうせ自分のことなど何も気にしていないといった感情が強い。今回、引受人となってもらった兄に対しては、徐々に感謝の念をもつようになってきているが、総じて家族に対する不信感が強く、自分は家族の中で見離されているとの疎外感をもっている。

5 生活設計

実兄の許に帰り、運転手の助手をしながら免許を取得し、将来は自動車運転手として働く意向である。

意見

少年の成績は上記のとおりであり、規律違反として懲戒処分に付されたのは2回だけであるが、自己顕示欲が強く、安易なものの考え方をし、上っ調子で短絡的に行動しやすい少年の性格、行動傾向を改善し、独立、自活の信念を強固にして耐性をつけ、誘惑に打勝つ行動力を体得させるためには、なお、若干の教育期間が必要と思料される。また、少年院は入院3度目で享楽志向が強く、前少年院仮退院当日家出して暴力団事務所に戻ってしまったこと。及び今回は帰住先の環境が変るとはいえ、身許引受人である兄はまだ若く、監護能力は未知数であることなどを勘察すれば、出院後も若干の期間専門家による助言指導が必要と考える。

少年の収容期限は昭和61年12月25日までであるが、当院での教育期間をあと約3か月半、仮退院後の保護観察期間を約3か月見込むと満期後なお5か月の期間が必要と思料する。よって昭和61年12月26日から昭和62年5月25日まで5か月間の収容継続を申請する。

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